夏目漱石が朝日新聞に小説「明暗」の連載を始めたのが大正5年(1916)の5月26日。今から百年ちょっと前ですね。
明治以降、都会のサラリーマンの服装は洋風化していきます。もちろん当時洋装をしていたサラリーマンはかなりのエリートだったと思います。そして、明治39年(1906年)、白洋舍の創業者、五十嵐健治氏が苦心の末に、日本で最初のドライクリーニングを始めました。
ちなみに、この五十嵐健治氏の伝記を、三浦綾子さんが「夕あり朝あり」というタイトルで書いていて、新潮文庫に入っています。大分昔、私も読みましたが、五十嵐さんは敬虔なクリスチャンだったようです。
当時はドライクリーニングといっても、お客様には何のことか分かりません。そこで、「乾燥洗濯」という言葉が使われました。
ドライクリーニングが実用化されて十年。漱石の「明暗」の連載が始まります。主人公が入院している部屋から、隣家のクリーニング店の職人さんたちがワイシャツを干している光景が見えるわけですね。当時としては、まさに東京の新しい風景といったところでしょうか。
さて、隣のクリーニング店ですが、ドライクリーニングの設備があったかどうか、文面からは分かりません。もちろん漱石もドライクリーニングのことはあまり知らなかったのかもしれないし。
当時のクリーニング店ではまだ機械化が進んでいません。ですから、綿シャツも桶を使って、大きな洗濯板でゴシゴシ洗っていたと思われます。機械的な洗濯機が導入されるのは昭和になってからです。
ゴシゴシ手で洗って、よくすすぎ、今度はノリを入れます。ノリと言っても今のような合成ノリはありませんから、デンプンを水に溶いて、熱を加えてドロドロにします。そして、それを薄めてワイシャツに付けるわけですが、ノリがなじむまで丸めておいておきます。それから乾かします。
このノリ付けの工程に関しては、私は直接やったことも見たこともないので、大先輩に聞いた話を書きました。多少真実と違うかもしれません。その時はごめんなさい。
さて、「明暗」は、188回連載され、漱石の死によって突然終わります。連載した長さは、漱石の作品でも一番長いと言われてます。「明暗」は学生時代と中年になってからと、二回読みましたが、これからというときに、ぶつっと終わりになります。ああ、ここで漱石が亡くなったのだな、と妙にリアルに感じられました。50歳目前でした。若すぎる。
これを機会に、漱石をもういちど読み返そうかと思っています。